反時代的密語 − 梅原猛 「円空の語るもの」


円空は、秦澄・行基の思想の流れをくむ、思想家であり芸術家であることが分かった事から梅原氏は突如として円空を理解したという。

氏によると、秦澄のはじめた白山信仰こそ神仏習合思想のさきがけなのであり、それが行基の八幡信仰に受け継がれ、そこで国家の宗教となり、さらに空海真言密教によって神仏習合は仏教の中に取り入れられていったのだという。この密教神仏習合思想は、平安時代修験道として完成される事になるのだけれども、こうした神仏習合思想というのは、秦澄がはじめた素木の仏像製作と深く関わっているのだそうだ。

 秦澄は、白山の主峰である御前峰を、イザナミノミコト(女神)であるとみなして、その本地(仏や菩薩の本来の姿の事をさす)を、十一面観音である、としたらしい。多分、この事をさして、神仏習合思想の始まりやと、梅原氏はゆうとる訳です。

 で、十一面観音というのは、水を司る仏であるらしいのですな。んでまた十一面観音というのは、頭上にちっちゃい頭を10個ほどくっつけているらしいんですが、あくまで秦澄によるとそれは有名どころの仏(釈迦、文殊、不動とか)すべてを表しているらしいです。なんというか非常に合理的な話なのですが、十一面観音というのはその有名どころの仏すべてを総合する仏らしいのです。なのでご利益も十一倍?。砕きまくって言えば、十一面観音は一つで十一回美味しい仏という事になります。
水を司る仏であるし、また全ての仏を総合する仏でもある。稲作農民にとってこれほど、イケてる仏はいない。そんな訳で、白山信仰というのはずいぶん栄えたらしいです。

 で、円空が修行したと伝えられている愛知県の高田寺(こうでんじ)には、秦澄の思想を受け継いだ行基さんが彫った素木の仏像があって、さらにこの地方では白山信仰が結構盛んだったらしいのだ。ということで、梅原氏は、このような状況下で円空行基さん(ひいては秦澄さんの思想)にあこがれて、仏像彫りをしたいと思ったんじゃないのかと予測してるわけです。

 この後、円空修験道の修行を重ねつつ何種類か仏像を作って作って43歳の頃、ついにあの有名な木端仏を生み出すわけです。そして、その木端仏をつくり続けて、最終的に行き着いた境地というのが、先ほど申し上げた十一面観音の信仰なんじゃないかと。
正確に言うと、十一面観音を中心として善女竜王善財童子が脇侍を務める三尊仏信仰というものらしいですが、


・・・・・・・・・・ちょっと中断