花になる


花を演じる、花の精を演じるとかではなくて、花そのものになる。
困難な課題である。

花が開く、その生命力の強さ。凝縮された生命の力が、開花とともに弾け飛ぶ。あの生命力の漲りを、身体を使って表現する。これは実に難しい。

しかし何故だろう、大野慶人さんが模範パフォーマンスをすると、
その花の生命力が見えるのだ。香気匂いたつ、気高き美しさが。


花であるとはどういうことか?
花びらが何枚であるとか、蓮であるとか、ピンク色である、仏の座であるなどといった記号を排した先にある、「花」とはなにか?我々は、花を記号を通じてのみ見ているわけではない。花の本質的な部分(イデアというと誤幣があるので)をも同時に知覚している。

恐らく大野慶人さんは、
この本質的な「花」性 を、
自分の身体を通じ表現しようとしていたのだ。