ふと思い出した


2001年か2002年頃、京都精華大学に舞踏家の大野一雄さん・大野慶人さんがいらして、舞踏講演およびワークショップを開催していた。私は時間の都合上、残念ながらワークショップを傍から見る事しか出来なかったのだが、たったそれだけでも強い感銘を受けた事を覚えている。
ワークショップの講師は大野慶人さんだった。(大野一雄さんは当時95歳くらいだったと思う)


理由は覚えていないのだが、今日、電車に乗っていた際に、突如としてそのワークショップで大野慶人さんがおっしゃっていた事を思い出したのだった。


ワークショップでは確か、こんな課題を出していたと思う(多少記憶が曖昧な点については、ご容赦下さい。)。


  • 1:「自分の手が、自分の目になったと思ってください。そしてその目で世界を見てみてください。そして今度は、自分の足を目にして、背中を目にして、自分の全身を目にして見てください。」
  • 2:「花になってみてください。花を演じるのではなく、花になるのです。」
  • 3:「二人づつ組みになって、宇宙でキャッチボールをしてみましょう。」

それぞれの課題について、大野慶人さんの模範演技?があり、その後にワークショップ参加者が実践する。




こんな課題を出されたら、当然、当惑する。
何を意図しているのか、どうしたら良いのか、分からない。
だが、大野慶人さんが演じると、
おかしな事に何となくこの言葉の意味が分かってしまうのだから不思議だ。


手を目にする事、
花になる事
宇宙でキャッチボールをする事。


確かに、大野慶人さんは”出来ている”感じがする。
しかし、なんで”出来ている”のか、なにが”出来ている”のか、それがよく分からなかった。



あれから3年ほどたった今日、意味が少し分かったような気がしたのだ。
甲野善紀さんだとか、野口三千三さんがおっしゃっていた
「身体感覚」というものを、研ぎ澄ます為の練習だったのか、とふと思ったのだ。ここ数年、甲野さんの本や野口体操なんかが結構話題になっているみたいだけれど、大野慶人さんがおっしゃっていた事も、ある程度この「身体感覚」に通じるものがあるのだろう。