さて第九回妖怪会議のお題は・・・


「キャラクターとしての妖怪」

先生方の背後にヌラリっと垂れるスクリーンに、映し出されたのは大映作の『妖怪大戦争』で御座います。今回のお題はこの『妖怪大戦争』を元にやらせて頂きますと、京極先生。と申しますのもこの度、潰れてた大映が復活するさうで、その復活記念としてこの『妖怪大戦争』をリメイクしてやろうって話になったらしいんでげすな。



勿論、この妖怪先生達無しに『妖怪大戦争』のリメイクなんてありえない訳ですよ。荒俣先生が脚本、京極先生がキャラクタデザインなどで関わるそうです。

んで、前置きはともかく、今回はこの妖怪の「デザイン」や「フォルム」についての話をしようじゃないかってのがメインテーマだったのですな。んで、『(旧版)妖怪大戦争』を見ながら、轆轤首(ろくろっくび)、狢(むじな=ぬっぺぽう=ぬっぺらぼう)*1、あと「油すまし*2」なんかの話をしてはった訳です。
鳥山石燕の描いた「ぬっぺぽう」と、「狢」や「ぬっぺらぼう」のデザインが全く違うよね、とか、
「この「油すまし」は文章として語り継がれてきたが、形は無かった。それに形を与えたのは水木御大なんだ!だから「油すまし」をあの形で用いたい時は、ちゃんと
C*3水木プロって印を入れろ!」とかいう話をしてはりました。



最初はそんな感じで(ある程度)テーマに沿ってすすんでたんだけれど、途中からは両雄のオタクぶりが発揮されだして変な方向へ。



唐沢なをき先生は「キャラクターとしての妖怪」についてよりも『妖怪大戦争』そのものに心を奪われていて、ずっと興奮しまくってる次第。
「いやぁ、この『大首』がねぇ凄いんですよ・・・だってこんなデカイ顔ですよ。ありえないなぁ。」とか「見てください、このロクロ首。絡み付いてるでしょ。たまらないなぁ」とか、。


あぁ本物やこの人。良い具合に“あっち”にイってはるわぁ。(笑)

という発言をするわけです。いやぁ愛があって良いなぁ。


荒俣御大は自分の本の解説をしたり、妖怪大戦争の広報をしたりと、キャラクターとしての妖怪はどこに行っちまったんだってな様子で、もう無茶苦茶。それるたびに、京極先生が軌道修正をかけるんだけど、それもお構い無しに、またどんどん話の筋がそれていく。いいなぁ、この無軌道ぶり。楽しい。



とまぁ、随分と、軌道がそれたところで、満場の拍手に包まれて水木大先生の登場。



さて、ありがたい妖怪話が聞けるかと思いきや、水木先生が席に着くなり話だしたのは、

「クソの話」

*1:狢といえば、小泉八雲である。「それはこんな顔だったかい?」と言いながら振り返った男の顔には、目も鼻も口もなんも付いてなかったというアレ。しかし鳥山石燕のヤツだと、ジャガイモみたいな形をした肉の塊に、手と足が付いた、っという形をしている。一体いつ、ぬっぺぽうはぬっぺらぼう・狢になったのかが気になるところではある。

*2:大映旧版『妖怪大戦争』では主役をはっている。クリに目と鼻と口が付いたような頭で、こなきじじいの様な蓑を羽織っている。コミカルなようで、意外と気持ち悪い。

*3:All right reserved って事ね。