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necromantic2004-02-22

不規則な日でした。朝6時過ぎに喫茶店へ朝食を食べに。そこでついでに、こないだ300円で買った養老先生の「バカの壁」を読ませてもらいました。バカ売れするタイプの本には思えませんなぁ。。現在311万部だそうで。驚き。

要はバカの壁ってのは、一元論に固執している人が頑張って建ててはる壁らしくて、自分の民族なり社会なり、イデオロギーなりの価値を相対的に高めるためのツールだともいえましょうぞ。人間て普遍性を求める生き物ですからね。それは死への恐怖から来るのだろうし、意味と価値っていう記号で自らを彩らないと不安になっちゃう生き物なんだからなんでしょうね。

そういや、養老先生は「不断な自己存在の認識」を「脳化」なんて呼んでました。私が「私」で在り続ける事→流行のアイデンティティというやつを、至上の価値にしちゃうのはちと早計ですな、と。

これについては「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり」っていう平家物語の冒頭を例に出して解説してました。自己の可変性故に、同じ鐘の音でも状況によって音が違って聞こえるって。カフカ「変身」の事も書いてあったけど、つまり私達は、普遍性の到来を期待してる訳ですな。でも、普遍性ってのはあくまで情報に許された状態であって、人間が情報を処理する主体である以上、人間は可変性の中でしか生きられないって事で。

の、くせして普遍性を求めるからおかしくなる。
という、訳ですね。

あぁ、でもさ、結局人間て不安でしょうがないんだよきっと。自己が必然的に変化する主体なんだって知ったところでさ、一元論に陥るのが良くない事が分かっててもさ、何かしら普遍的な共通理解の存在を求めたくなっちゃうのよね。ですからこれからの世の中、やっぱり宗教への需要が増してくると思うんですよ。絶対者の存在ってのは、全てを誤魔化してくれる。私は無宗教ですが、結局そういった「無限性」を想定する事でしか、人間っていう生き物は救われえない、っていう予感があります。


これからは宗教の時代ですよ、旦那。

あと、ブラックジャックに4649の8巻を買いました。今回はガン治療編の終章でした。売れ筋やからと言って馬鹿に出来ません。多少、誇張して書かれてるとこはあるけど、少なくとも癌編についてはかなりのリアリティがありますし、指摘している問題点も看過できないですよ。「生と向き合うことは、死と向き合うことと一緒じゃありませんか??」ってのは主人公の台詞。

確かに。

リルケ

の言葉を



「自分の死を内側に持つこと。子供は小さい死を、大人は大きい死を。女性は乳房の中に、男性は胸の中に死を持っている事が、その人だけに、威厳と自信を与えてくれる。」