纏めたり考察すると面白そうな事を列挙してみよう

  • まずは、能の番組の詞章を綿密に解釈してみる事。例えば、能の詞章には掛詞等がサラリと入ってくる。高校の古典で習ったアレである。この掛詞が使われる事で文学的に見た場合、どのような効果を与えているのか?演出効果としてどうなのか?等といった事を緻密に解釈してみたい。もちろん、詞章の文学的な価値は今更語る必要はないほどであるが、あまり一つの詞章について綿密な解釈というのは為されていない気がする。是非やってみたい。所々で引用されている詩歌や、その詞章の舞台の文化背景などもじっくり解釈したいものだ。
  • 仏教思想と能楽というのは切っても切り離せない間柄なのであるが、能楽に現れる仏教思想が一体どの流派のどの解釈のものなのか?とか、仏教の布教活動の一環として能楽が利用された可能性はないのか?とか、能楽に現れる幽霊達の供養・成仏のされ方と仏教の葬送儀礼にどれほど同一性があるのか?とか、色々調べたり考えたりしたい事がある。

勧善懲悪=道徳教育装置として能楽を捉える事も可能だ。

  • 能の身体。能には型というヤツがある。泣いている様を表す「シオリ」とかいった型が有名だが、あれは言わば形態模写=パントマイムな訳だ。能の原型となった、散楽というヤツは元々は物真似芸であり、その真似る対象は人であったり、動物であったり、または時として眼に見えないモノ=神様だとか自然現象だとかだったりした訳だ。こういった、何かを真似して身体表現する、この模倣の型に洞察を加えてみるのは非常に面白いんじゃないか?能の型は、動作の美しさ、身体の美しさを表現するためのものではなく、あくまで模倣だという事にその本流がある。