文化の日


文化の日なのにも関わらず、いつもと変わらない生活を送っている訳ですが(4時寝10時起き。世間の社会人には申し訳なくて顔が立たない。)、これはこういういつもの生活が文化的だ、という事なんでしょうか。
って、そんな訳が無いので、文化的な事をしようかと思います。


って、そこでやっぱり引っかかる訳だけど、文化(的)って本当に胡散臭い言葉やなぁ、と。


と、言うのも、

人間が客体(出来れば三人称の他者)を認知し、或いは誰か(出来れば三人称の他者が良い)によって客体として認知される存在である限り、そこには意味付与の可能性が企図され、意味付与され得る状況下において人間の関わるあらゆる行為・現象・事象・構造物は文化(的)に成り得るからです。庶民文化・貴族文化・或いは「動物の文化」なんてのが成り立つのは、人間が客体を認知し意味付けする存在だからなのでしょう。


日常の所作:例えば携帯電話を使ったり、エレベーターに乗ったりする事。或いは自動販売機に硬貨を投入してジュースを買う行為でもいいけれど、

こうした行為が三人称の誰かによって観察されて、これはこういう意味なんだよ、と言われる可能性がある。ただそれだけで文化が成り立つ訳です。


携帯電話で、遠くに居る人と通話する:
例えば携帯電話で何が語られるか?
何のために電話をするのか?
携帯電話での通話をどうっやって可能にしてるのか?=携帯電話の技術

携帯電話を使う行為が、誰かによって客体化される状態=つまり観察できるような状態に置ける、という正にその事が文化の成立要件な訳です。



なので詭弁であり、更に極端な話ですけれども、いまこうしてパソコンで日記をつけながら、この怠惰で自堕落な生活を嘆く、この行為ですら文化(的)だ、という事になりますわな。この行為をキーボードを打つことで言語化して、その言語がいま読まれたことによって、僕の行為は正に文化(的)になった訳です。(そして自分で自分の行為を客体として扱うことによって、またそこに文化の可能性が生まれました。)


いや、まぁ面倒くさくて訳の分からないことを書いたけれど、要は何でも「文化」になるんだよ、って事で。

っていうか、

文化の日に(いわゆる)文化的な事をしてないことに対して 

「開きなおり」たいだけなんやけど(笑)


さて、小説でも読むか音楽でも聞くか映画でも見るか絵でも観るか・・・・(またこれも、文化の不足を嘆く 現代人の文化なのだろうか。)