Homeless Mindless

◆最悪…随分書いたのに、アップする前に全部消えちゃった。自宅パソコンではない、という事はこういう事か!!DAMN。己の愚かさも呪いますが、同時にこの漫画喫茶のパソコンもちょこっとだけ呪う事にしましょう。
◆再び同じ事を書くのは不本意ではありますが、纏め易い/書きやすいという利点はあります。なので利点を利用して、簡潔に書き直しをしようかと思う訳です。
◆現在、パラサイト生活を送っています。引越しで家が無くなったので。先週の九日(2004・3・9)からなので、丁度一週間になります。意外とイケてる気もしますが、多少考える事もあり。多少ながら考えた事を今回の日記に記そうと思ってます。
◆「住所不定」という意味ではホームレスです、が、ホームレスとは何か?行政上、国民を管理するのに都合が悪い一部の人間の集合をホームレスと呼ぶのだとすれば、住民票は実家の方に登録してあるから完全なホームレスではないです。しかし、問題はそういった法律上のホームレスかどうか、という事ではなく、実質上「自分の家」が無い事に対する嘆きなのです。
◆自らの住居を持たない事に由来する、精神的なゆらぎが誰に対しても適応できる事実であるかどうかを検討してみたい訳です。で、まずは「住む」事と「滞在する」事の違いを記す必要があると思うのです。例えば、店には滞在出来ますが、住む事は出来ません。(ホテルなどの例外もありますが、いや、しかしこれも例外では無いのです。)。滞在と居住を分けるのは、私的所有物か否かというポイントです。私的所有物には基本的に住む事が可能だと思うのです。これは、あくまで認識上の問題であって、法律関係における所有(物件)観念とは全くの別物なのでご注意。認識上、他者に所属すると考えられるものには滞在しか出来ません。ホテルは対価が必要な滞在です。(ツッコミ処として、公共の空間に住む事が出来るのか否かという点がありますね。これは後ほど。)所有という観念の相違が、居住と滞在に影響する、という前提をまず上げます。
◆次に、「では所有とは何か?」という点について多少記述しようかと思います。あくまで、私の観念ですが、所有とは即ち、身体性の延長である、と考えています。或いは自我の拡張行為であると言えます。これは特に、欧米の思想において如実です。例えば、労働行為を金銭と等価交換出来る論拠について、ルソーは身体の自己所有権と、自己所有物としての身体から生み出された労働という行為について所有を認め、報酬と交換出来るという事を説いています。欧米のキリスト教国家(殆ど例外はありませんが)、においては究極的に身体は神に所属するもの、とされていますが、身体の自己所有は天賦人権に内包される権利として認められます。そこで、こうした身体によって獲得された財貨/物品には人権/所有概念の延長として、「彼(女)のモノ=彼(女)の拡張」というラベルが付与され、他者によるこれの侵害から防御される事となります。所有とは、唯一尊い存在である自己(の拡張物)を他者によって侵害されない、という思想に基いているのです。あぁ、なんだかめんどくさくなっちゃった。やーめた(笑