縁の科学

「縁」や「因果」などと言うと、少し宗教がかっていて、どこか古び、煤けたイメージが付き纏う。少しも科学的ではないし、時代錯誤の匂いがするのだ。
 少なくとも都会で暮らしていれば、「縁」「因果」「運命」などという言葉はまやかしの言葉に見えてならないだろう。靴がアスファルトの地面を蹴り、冷たい音を響き渡らせている街中。お互いは袖を刷り合わせても、詫びる事すらなく、ただ足早に歩をすすめる。こういう中で、「縁」を感じるのは至極困難だ。
 僕はこうしたドライな人間関係は、嫌いじゃない。干渉せずにいた方が遥かに暮らしやすい場合もあるし、見る必要の無いモノ、知る必要の無い事はあまりにも多い。かえって希釈された人間関係が、心の平穏を保つのには適しているのかもしれない、とさえ想う。
 だが、関係性のあり方の好き嫌いはともかく、人と人、人とモノを結びつける糸、「縁」や「因果」というのは、それらとは別に存在していると想うのだ。

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