6月19日

という日は、人類の「知」の歴史上重要な日みたいですよ。今から遡る事2244年前、BC240年のギリシャでエラトステネス(Eratosthenes)<天文学・数学者>が地球の直径を算出した。日だそうです。




◆あれ?と思うかも知れない

ちなみに僕は一瞬、アレ、っと思った(無知な証拠)。


「この時代、地球は球体だったのか?」という点に引っかかった訳です。


そう思って調べたところ、BC500年頃にはすでにピタゴラスによって地球球体説が唱えられており、BC355年頃にはアリストテレスによって球体説が証明されていて、エラトステネスの時期には地球球体説は常識だったようです。ただ、確かにこの時代以後、「地球は球体ではなかった」ようです。教会と学問・宗教観と学問は17・18世紀になるまで完全に分離する事は無く、特に西ローマ帝国滅亡後の5世紀〜からは、古代科学が衰退して、宗教権力(つまり教会)が科学観にも大きな影響力を及ぼしだしたみたいですな。んで、どんな影響かというと、まぁ「地球は丸じゃない。平面なんだよ」という訳ですよ。

  • 「球体だというなら、球の上に居る人は良いけど、下側に居る人はどうなる?落ちるじゃないか!」
  • 「第一、 聖書の創世記に「主なる神は東のかた、エデンに一つの園を設けて」+ 「大地は平たく海洋(オケアノス)に囲まれている」と書いてあるじゃないか。地球が丸いだなんて馬鹿言うもんじゃ無いよ。馬鹿。」



と言う訳で、丸かった地球は、平面になってまう訳です。

当時のヨーロッパ地図の有名なモノで「TOマップ」というのがあるようですが、

  • TOマップ
  • O=オケアノス
  • T=タイナス(ドン)川、ナイル川/紅海、


の意味らしく
Oの円上にTが組み合わさっている形を思い浮かべると良いかと思います。
図は→"http://homepage1.nifty.com/ptolemy/history/image/TO-map.gif"


どうやらこのTOマップの世界観が14Cの十字軍遠征まで続くようでございます。んでその十字軍遠征によってイスラム科学が輸入されてくるわけですが、イスラム科学はギリシャ科学から強い影響を受けてたので、言うたらギリシャ科学の逆輸入が起きるわけです。此処にいたって漸く古代科学の「地球球体説」が蘇るわけでおま。




という事なので、まんざら僕の疑問もオカシイものじゃぁ無かったようでげすな。




◆で、話を元に戻してエラトステネスなんだが。



エラトステネスは当時、アレクサンドリアに在った大図書館の館長をしてたそうな。図書館と言っても今の図書館とは違って、読む事が出来る人(識字の面でも、地位の面でも)は相当限られていた訳ですから、今の図書館のように、借りた本に書き込みをするウンコ垂れにムカっ腹を立てる事も、返却遅延の客に嫌味を言う必要も無かった訳です。だから、仕事と言えば、本を読む事だったわけで、そういう意味ではむしろ研究員だったと言った方が良いんでしょうなぁ。


で、エラトステネスはサボり・・いや、仕事中に読んでいたパピルス本に次のような記述を発見する訳です。

「シェナでは夏至の日の正午に近付くに従って、寺院の柱の影がどんどん短くなっていき、正午になると、その影は完全に消えてしまう。」と。←これは海外のサイト。
で、ネットで調べた日本のサイトの資料は「シェナの深井戸の底を太陽が照らすこと」をエラトステネスはネタ元にしたと書いてある。


まぁ、どちらにしろ、夏至の日には南中高度が一年で一番高くなって、頭の真上に太陽が来て影を消す、という要旨の記述を読んだ訳です。しかし同日のアレクサンドリアでは、ちゃんと影が残ってる。これは稀有な。と言ったか言わなかったかは知らないけれど、そこでエラトステネスは、ふと気が付くわけです。地球の表面はやっぱり平面ではありえん、平面やったらシェナでもアレクサンドリアでも影が無くなるはずや!地球は曲面に違いないんやぁぁあ。


◆で、エラトステネスは実験するわけです。



①シェナとアレキサンドリアに棒を一本づつ立てて、その影と太陽が作る角度を測る→7.2度。
②シェナとアレキサンドリア間の距離を測る、と→当時の計測では925㎞(歩測らしいです)
③で、 X:925=360°:7.2°
 925×(360/7.2) = 46250 km となる訳で。ちなみに今日の写真はその図解です。



詳しくは↓
エラトステネスの実験

ごめんなさい。勝手にリンク貼りましたm。お許しをm(_ _)m



ちなみに実際の地球の直径は、40000Kmだというので、エラトステネスの計算は(初期の数値を除けば)
かなり正確だった模様。